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Last Update: 2010/02/22
フォトログ風の日常写真。
退屈なんか感じてる暇はないはずだぜbaby。
過去の写真も移植中。
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普通にブログ。
文章を書き散らかす場所は今後ここに集約します。
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写真でつながるSNS。ある意味他のどのコンテンツよりも個人情報を晒してます。どこで何をしてたかまるわかり。今はGR Digitalでそこらへんを撮りまくり人生。

業
Twitterにもちらと書いた話、先日、題して「大人の修学旅行」というツアーに参加した。コースは知恩院〜青蓮院門跡〜平安神宮で、いずれも行き慣れた場所だが、私は普段史跡の歴史的背景にまであまり注意を払わないので、現役バスガイドさんの解説を聞きながら寺社仏閣を廻るのは一々新鮮だった。クイズゲームをプレイするようになってから、歴史を知る醍醐味が最近ようやく判ってきたように思う。一通りツアーが終了した後、茶店に寄って皆でうだうだと話す。ガイドの蓮月詠子さんは常人ではなかなか体験できない苛烈な経歴をお持ちで、彼女の体験を中心に話題が巡る。如才無く周りに気を配りつつ、けたけたと笑いながらその「不幸」の数々を話す彼女には、達観した明るさがあった。彼女が受けた傷が全て消えているとは思えないが、それでも前に進もうという強いベクトルを感じた。
しかし思うに、ある程度の業とか、表の人格の背後にある影の冥さとか、そういった類が感じられない女性はどこか浅薄ですよ。そういう側面って色気にも繋がるんじゃないだろうか。男性も同じかもしれないけれど、でも、女性の深みには敵いません。そうつらつら考えていると、このポルコ・ロッソのような法然像(@知恩院)の中にも、深い業があるように感じる。感じねえよ。
2010/02/22
2010/02/02
●今更ながら、土居健郎「「甘え」の構造」読了。40年前に出版された本だが、ここで述べられている「身内」と「外」を「「甘え」られるか否か」で峻別する日本人の特性は、今でも充分議論に値するトピックだと思う。「社会が複雑になって、どうやったらうまく甘えられるかそのルールの発見が困難になっている」というくだりは現在の孤独死や引きこもりの問題ともオーバーラップする。あと「欧米では言語的に一人称の使用が強制され、非常に早くから自我意識が目醒めさせられる」という文章を読んだ時には、はっとした。確かに欧米では「メアリー(=私)にメールしてね」などと、自分のことを名前で呼ぶ習いはないのではないか。この彼我の差は、何か重要なことを示唆している気がしてならない。
2010/01/10
●昨日「アバター」をIMAX 3Dで観た。この3D映写方式を有した映画館は全国で4館しかないという。他の3D方式で観ていないので比較はできないが、キャラの存在感は、文字通り、突出していた。フルCGのヒラメ顔異星人、「ナヴィ」のリアリティーは気持が悪くなるくらいだった。ストーリーも極めて上質なエンターテイメント。無駄なエピソードがなく、序盤のネタ振りが巧みに後半への伏線として繋がっているなど、ストーリーテリングの精緻さにも目を見張るものがあった。最後の活劇もメカマニア垂涎だろう。DVDで買ってまで見たいかと言われれば微妙ですけど。これは映画館で観るべき。かつてない視覚体験ができることは、(IMAX 3Dに関して言えば)保証できる。
2009/12/21
●先日、ちょっと呑む場所を探して、京都三条近辺の雑居ビルを廻ってみた。随分ニッチだなあと思ったのが"MOTHERS"というバー。木製のドアにはフランク・ザッパの写真が飾られていた。彼に心酔している人にはたまらない場所なのだろう。ドアを開けてみる勇気はなかった。そのビルの地下のバーに行くと、ロカビリー風にアレンジされた「ジュリアに傷心」をバックに踊りまくるおじさんおばさんたちがドア越しに見えて、これもなかなか鬼気迫るものがあった。勿論私は即座に踵を返した。
2009/12/04
●flickrに知らない方からメールから来ていて、これが私の写真をイラストの下絵として使わせて欲しいという丁重なお願いだった。いいですよいいですよと思いつつ先を読み進めると、「実のところイラストはすでにほぼ完成しています」とあって、イラストへのリンクが張られていた。元写真がこれで、イラストがこれ。素敵すぎるやん、と思わず呟いてしまう私。感激してしまった。こんなコラボなら何十回やってもいい。
2009/11/09
●江國香織「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」読了。短編集。最初の方に「この人とだとエッチが凄くて食欲も信じられないくらいになって(はぁと」のような短編があって、余程「リア充乙www」と放り投げてしまおうと思ったが我慢した。しかし読み進めるうち、受ける印象はどんどん変わっていく。読み終わって強引に全体をまとめると、全編、愛と不可分の喪失感を描いている、そう感じた。視点を変えて先の一編を読み直すと、能天気なストーリーも、喪失という予定調和に向かう助走期間を描いているかのように見えてくる。私たちは永遠の愛が幻想だと、知りすぎるくらい知っている。幻想に殉じることが結局自分自身を傷つけることになる、と判っていても、この作者は妥協できないのだろうな、と思ってしまったが、うーん、私が愛に対して懐疑的すぎるのだろうか。
2009/11/03
●谷崎潤一郎「文章読本」読了。書かれたのは昭和9年だが、本質は古びていない。言語体系から西欧と日本の文化の差に思いを馳せる箇所などは、今読んでも充分面白い。しかし内容もさることながら、名文の特質を説く文章そのものが、その理想を体現しているところが見物。平易かつ流麗、技巧に溺れず、滑らかに流れるようなこの筆致は一つの究極点だろう。黙読すると目が気持ちよく、試しに音読してみれば口が気持ちいい。余りに気持ちいいものでつい2回通して読んでしまった。良き文章を読むことは悦楽なんだということを、この本は身をもって教えてくれる。
2009/10/11
●流行もの、外山滋比古「思考の整理学」読了。結局情報や思考の整理に王道はなく、遠回りでも自分の手をふんだんに使うしかないという論旨で、しかも古い本だからPCを駆使した整理法などに言及があるわけもない。それでも今こういう本が売れているのは、情報の氾濫にいささか疲れを感じていること、そして「自前の」思考を拵える道はツールの進化に関わらず本質的に不変であると感じていること、こういう思いを共有する人が多いことから来ているのではないか。処理すべき情報の膨大さ、そしてS/N比の低さに違和感を感じている人が多いのだと思う。この本は一種、レイドバックの象徴なのだろう。
2009/08/20
●高橋昌一郎「ゲーデルの哲学」読了。親鳥が雛に餌をあげるかのように、ものすごい噛み砕き方でゲーデルの「不完全性定理」を説明してくれている。おかげで、ゲーデルが何をした人なのか、だいたい感覚でつかめた。この定理、禅問答のようだが、要は「どんなシステムにも「必ず」不明な部分が存在する」「どんなシステムも自らの正しさを証明できない」という意味らしい。つまりは我々がいくら足掻いても「必ず」不明解な部分が残ると。この定理に端を発して、「コンピュータは意識を持つことができるか」「神は存在するか」という議論にまで発展するところが、非常にスリリングで愉しかった。ちなみに「神は存在する」というのが答えらしいが、いや、その理屈はちょっと承服しかねるな。
2009/08/13
●大和和紀「あさきゆめみし」全巻読了。漫画の世界に疎いので、薦められなければ決して読まなかっただろう。しかし、素晴らしいの一言に尽きる。読みながら、一々やきもきし、義憤に駆られ、時にムラムラして、そして何度も涙した。原典を読んでいないので大きなことは言えないが、源氏物語を漫画化するというこの試み、これは後世に残る文学的事件じゃないかと思えてきた。源氏物語の敷居を下げただけに留まらず、新たな視点と感動と世界観を創造しているのではないか。ともかく、御陰で源氏物語の話を振られても追従できるようになったと思う。古典、苦手なんだよね。学校の授業の時は寝てたし。
2009/08/07
●酒井法子の一件。逮捕状が出たと聞いてすっかり動転し、おいどうよと周囲に感想を求めると妙に醒めている。「行方不明になった時点で読めてましたよ」「のりピーって元ヤンキーでしょ。想定内ですよ」「芸能界なんてそんな話ばかりでしょ」「押尾学が可哀想」などと言う。私が「碧いうさぎ」をiTMSで購入し、昨晩しんみりしながら聴いていたと告白すると、失笑を通り越してむしろ同情された。いやね、これはメディアリテラシーの欠如が原因じゃないんですよ。単に女性に対して純情なんです。女性の一世一代の演技って、時に怖くなる。
2009/07/29
●どうも夏場はお金の減りが早い。これは気のせいじゃなくて、単に会社で飲料類をがばがば飲むせいだ。ペットボトルの水やお茶を一日2リットル、ひどい時は3リットル飲んでいる。近所のスーパーじゃ「六甲のおいしい水」2リットルが128円なんで、これを毎日買えば相当節約できるはずだが、これを机の上に置いてのべつくまなしラッパ呑みするのも美観的に如何なものか。先日部署の一番偉いヒト(イケメン)が、ミネラルウォーターの空きペットボトルに水道水を詰めている現場を目撃してしまったのだが、私もそうすべきなのだろうか。