落柿舎

2010年、変化の年。
相変わらず暗鬱な話だらけで、実際周りを見ても、今後の身の処し方を考えあぐねている人が多い。自分も例外ではない。この変化の中、今までの延長で物事を捉えていては、壁にぶち当たるのは当然の理だ。それはわかっている。多分、私は10年前の感覚を今の状況にそのまま援用しようとしているのだろう。何十年という年月を掛けて捏ね上げてきたプログラムを変更することは容易ではない。適応とは捨て去ること。今までの成功体験を一旦捨てなければサバイブできない。変えなければいけない部分と普遍的に有効な部分を峻別して老朽化したプログラムを捨て去ること、そして、適応と隷属を見分けること。この困難を感じたのが2009年という年だった。この元旦、寒くはあったが空は透き通る青空だった。私は神仏に願はかけないが、空の中に道標を求めた。

2010/01/10

法然像


Twitterにもちらと書いた話、先日、題して「大人の修学旅行」というツアーに参加した。コースは知恩院〜青蓮院門跡〜平安神宮で、いずれも行き慣れた場所だが、私は普段史跡の歴史的背景にまであまり注意を払わないので、現役バスガイドさんの解説を聞きながら寺社仏閣を廻るのは一々新鮮だった。クイズゲームをプレイするようになってから、歴史を知る醍醐味が最近ようやく判ってきたように思う。一通りツアーが終了した後、茶店に寄って皆でうだうだと話す。ガイドの蓮月詠子さんは常人ではなかなか体験できない苛烈な経歴をお持ちで、彼女の体験を中心に話題が巡る。如才無く周りに気を配りつつ、けたけたと笑いながらその「不幸」の数々を話す彼女には、達観した明るさがあった。彼女が受けた傷が全て消えているとは思えないが、それでも前に進もうという強いベクトルを感じた。
しかし思うに、ある程度の業とか、表の人格の背後にある影の冥さとか、そういった類が感じられない女性はどこか浅薄ですよ。そういう側面って色気にも繋がるんじゃないだろうか。男性も同じかもしれないけれど、でも、女性の深みには敵いません。そうつらつら考えていると、このポルコ・ロッソのような法然像(@知恩院)の中にも、深い業があるように感じる。感じねえよ。

2010/02/22