脱プレミア銘柄。マイテイスティングの方法。 (1)

初出:2005/05/08

焼酎アドバイザー=焼酎ソムリエ?
追記: このチャプターは基本、”焼酎アドバイザー、という「資格」”をまとめたもの。

数年前、馴染みの酒屋でいつものように焼酎を買った際、店の親爺が名刺を出してきた。

今更何やねん、と思ったが、手に取った名刺を見ると名前の横には「焼酎アドバイザー」なる「称号」が麗々しく記されている。ちょっと自慢したかったのだろうか。初めて聞いた資格だった。私はよくわからないまま「はー凄いですねーアドバイザーさんですか」などとお愛想を言った。
鋭い人ならこの資格名を聞くや即座に、胡散臭え、と思うのだろう。しかし私は名前だけ見て、ああこの人は焼酎のプロフェッショナルなんだと解釈してしまった。

しばらくすると、この「焼酎アドバイザー」という名称をいろいろなところで目にするようになる。焼酎特集雑誌なんかの人物紹介の欄に、焼酎アドバイザーの資格を生かして云々、などと書かれていることもあった。
その頃には私も、すっかり芋焼酎の虜、だったのでこの資格に興味が湧き、受験してみっか、などと思うまでになった。今思えば汗顔の至りである。

しかし、この資格の意義に気付くまでにはそう時間が掛からなかった。

勤務実績問わず誰でも受験できる、というのはまあよい。しかし総計10万円近く払って受験させて頂いて、しかも合格率80%の資格とは、もはや阿漕である。資格を購入致しました、というだけのことだ。この資格を所有している「だけ」では、何の意味も意義もない。

そんな単純な結論に至ってから、「焼酎アドバイザー」なる人の記事を「この人は焼酎の専門家だ」という先入観を除いて読み直してみれば、存外内容は他愛もなかったりする。

「焼酎アドバイザー」イコール詐欺師、と主張しているのではない。

取得する人にも大人の事情があるのだろうと推察する。ただ、さも意味ありげにこの手の資格を吹聴するような人間は信用ならない、と思うだけだ。どんな話題にも当てはまるが、それらしき肩書きは往々にして視野を曇らせる。

確かに騙される方も悪い、のかもしれない。「焼酎アドバイザー」が過剰にもてはやされている、という話は幸いにして聞いたことがないが、このような肩書きについ騙されてしまうことと、焼酎の「プレミア銘柄」に群がる心理は、どこか似てはいないだろうか。
一部プレミア銘柄への狂奔状態は、自分で判断しているようで実はお仕着せの「情報」に左右された、自分本来の感覚まで何か別のものに委ねてしまっている姿にも見える。

追記: この頃は「狂奔」という表現が相応しかった。体温で言うと39.0℃くらいの熱病状態だったと思う。現在2008年時点で36.9℃くらい。微熱程度か。

焼酎をよく知ることは、よく味わうことから。ここではそんな原点に立ち戻り、まず味わいという「情報」に素直になる方法としての「テイスティング」を紹介しようと思う。

普段呑みの延長としての「テイスティング」

ここでふと我に返る。私ごときが「テイスティング」について書いて良いのか。恐ろしく無謀な話である。

追記: 依頼する方も無謀というか蛮勇というか。

どのくらい無謀かというと、「曙って弱いし」などと言いながら本人に殴りかかるくらい無謀である。

追記: 仕方ないが例が古い。(内容自体は今も通用するけど)

私は自分のホームページで焼酎の紹介・評価を行っているだけの一介のアマチュアであり、「味わう」ことで報酬を得ているわけではない。勝手に愉しんでやっているだけだ。

今私は虚空を見つめうーうー唸っている。ここからどう書けばよろしいか。

軽いノリで安請け合いした自分を今まさに呪っているわけだが、よくよく考えてみれば、アマチュアには「これを言ったら商売に障る」といった利害やしがらみが伴わない。つまり自分の意見を正直に語ることができる。

幸い、担当編集者の方は「この本には広告的バイアスは一切掛かってませんし、ましてや蔵元さんからもビタ一文頂いておりませんええ本当ですとも」と豪語されていたので、私も安心して、具体的銘柄名を出しつつ感じるままをバンバン書けるというものである。

追記: 編集者氏の話によれば、雑誌で焼酎特集がある時は、蔵元からの「これこれの銘柄を大きく扱ってくれ」等の要望に応えた構成になることもよくあるとのこと。勿論、広告料は雑誌社に別途支払われる。特定蔵元・銘柄に対する明らかに不自然なべた褒め記事はこれを疑った方がいい。(とはいえ、鵜呑みにする人もそう多くはないと思うが)

また、私の考えるテイスティングとは決して熟練を要するものではない。

「テイスティング」=前情報なし・味のみで酒の銘柄名を当てること、と捉えている方が結構多いのではないだろうか。
例えば、「黒霧島」(霧島酒造)と「さつま白波 黒麹仕込み」(薩摩酒造)と「黒伊佐錦」(大口酒造)をブラインドで当てることができるか。これ、私には自信がない。この中でもやや癖が強めの「黒霧島」は偶然にでも当たるかもしれないが、他2つはかなり怪しい。そりゃ、こういうことが出来れば恰好良いだろうが、別段そこに大きな意義を感じる必要はないだろうと思う。

そして、以下に述べる内容は、ワインなどの長い歴史の中で培われた「本当の」テイスティングの体系的原則や定義からは大いに外れている。ほとんどは自己流に過ぎない。
テイスティングの際に「少量口に含んで空気を吸い込み」だとか、ましてや「含んだものを吐き出せ」だとか、よう書けん。吐き出せるもんか。

追記: 口にする際に「空気を吸い込む」意図は多分、人間が味を感じる際に嗅覚も使うからだと思われる。含んだものを吐き出すことも、当然、それを職業とする人にとっては理に適った話。

私が考えるテイスティングは、「客観的に味わいを評価する」ためだけの手法ではない。気張らずに普段通り呑みながら、「好き/嫌い」という単なる好みの表明から一歩踏み出すための手段だと捉えている。そして、その味への思いの馳せ方次第では、普段以上に芋焼酎の味の深みを感じることができる。正しいかどうかは別にして、少なくとも私にはそのような効能があった。

このムックを手に取る方なら、焼酎のことやその業界をよくご存じの方も多いのだろうが、現在の焼酎ブームを呑み支えているのは、「芋焼酎って案外美味しいね」と最近開眼した、多数の「アマチュア」の方々ではないだろうか。本稿もそういう人を想定して書くことにする。

追記: こういうことを書いて、こむつかしいことは書きませんよ、という前置きをしているわけだが、なんのことはない。単に自分が書けないだけの話だ。

さて、テイスティングは大きく次の3ステップからなる。「味わう」、「整理する」、「表現する」、である。(以下続く)