脱プレミア銘柄。マイテイスティングの方法。 (4)

「表現する」−「甘み」も多種多様

前項までで、芋焼酎ワールドにおける銘柄のおおまかな位置を掴んだ。そして「表現する」とは、その銘柄の味の細部をプロファイルすることである。ではいったい何のために、芋焼酎の味わいを「表現する」のか。

他人に対して味を伝えたいのか、自分の記憶の中にその味を刻みつけるべく記録するのか、動機はさまざまだ。これがないとテイスティングは完結しないが、ある意味最も難しい作業だとも言える。私自身を省みても大いに至らない点で、今後の課題でもある。以下はある意味、個人的な理想像でもある。

味を表現するのに、美辞麗句も文学的作法も必要はないと思うが、感じた味を適切に伝える言葉を探すことは難しい。悩みどころである。
例えば、「なめらかな味」などと書く時があるが、そう書きながらもよく自分へ突っ込みを入れている。なめらかってどんな味だ。感じたままを伝えるにはまだ言葉足らずだ。もう少し詳しく書きたいのだが、だいたいは「なめらかな味」レベルで見切り発車してしまう。簡単かつ適切に自分の感じた味を表現する方法はないものか。

ワインの世界でも同様の悩みを持っている人は多いようで、そういうワインテイスティング初心者のために用意されている方法がある。「テイスティングホイール」を使う、という方法である。

テイスティングホイール

英語の上、字が判読しずらいが、例えば円の中心から(赤いフルーツ)→(ベリー系)→(チェリー)というように大概念からより具体的に味の種類をブレイクダウンしている。

このように、同心円の内側に大きなカテゴリー(例えば「フルーツ」「オーク」等)があり、外側にいくに従ってその味が細分化されていく。フルーツ→ベリー系→イチゴ、チェリー・・等々、といった具合である。テイスティングする人はその味が大きくどのカテゴリーに入るかを考えて、その中でもっともしっくりくる味を探していく、という風に使うらしい。しかし、使い古しの「馬の鞍」のような味(実際テイスティングホイール中にあるのだ)、などと言われても困る。よくわからないが随分ひどい罵倒である。少々ピンと来にくい、こんな「ソムリエ的表現」ではなく、もう少し一般的にならないだろうか。

追記: 本当にプロフェッショナルなソムリエは、多分こんな一般に通用しない表現を使わない。あくまで通じる表現を目指し、相手に合わせてくるはずだ。一々よくわからない横文字表現を得意気にひけらかすソムリエがいれば、それは多分、自信がないからだろう。

実は、この芋焼酎バージョンを小生意気にも私が作ってみよう、などと考えていた。

追記: すみません。全然着手できてません。これは結構大変な作業だ。

例えば、「甘み」について。芋焼酎と甘みは切っても切れない関係にあるが、その「甘み」という表現が意味するところは銘柄によって多種多様だ。その「甘み」は、一体どこまで分類できるだろうか?試案として、思いつくままそのパターンを挙げてみよう。

<主となる甘み>
・ふかし芋(該当銘柄多数)
・スイートポテト(該当銘柄多数)
・焼き芋(焦げたような甘み)
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<付随する甘み>
・蜂蜜
・シロップ(「無濾過たなばた」等)
・柑橘系の果実(「小牧」「魔王」等)
・葡萄酒(紫芋系に多い)
・栗
・米(「晴耕雨読」等)
・グラニュー糖(平板で人工的な甘み)

芋焼酎のだいたいの銘柄には主役たる芋の甘みが基底にあるが、それに付随して様々な味わいが混じる。基本の甘みと併せて混在するデリケートな甘みを汲み取りながら、言葉を選んでいく。同様に、よく黒麹銘柄を評する時に用いる「辛さ」「スパイシー」といった表現も様々に要素分解できるはずだ。こんな風に、表現作業が容易となる方法を模索していこうと考えている。

また、これはあくまで個人的な禁じ手だが、味を表現するにあたって「旨い」「美味しい」という言葉はできるだけ使わないようにしている。
これらの言葉、過去は自分のホームページ上でも散々使っていたのだが、最近は「旨い」と結論づけると、そこで書き手も読み手も想像力が止まってしまうように感じてきた。
できるだけ「旨い」という言葉を使わず、その感じた本質の外堀を埋めるような言葉を使って、「旨いのだろうな」と第三者に感じさせることができれば、多分その表現は成功している。他の人との感覚共有度も増すだろう。

追記: 最近は上記についての考え方も変わってきた。単純に「旨い」と言い切るだけで、逆にその味に対する想像力が更に飛翔していくような、「旨い」という表現もある。

勿論、この意見が絶対的に正しい、と言う気はない。心底「旨い」と感じた時に「旨い」と素直に言えないのも窮屈だ。

■本格焼酎ブームを超える

相変わらず「森伊蔵」の電話抽選の回線は繋がりにくいが、いわゆる本格焼酎ブームも最近は徐々に落ち着きを取り戻しつつあるように感じる。

今後、このブームは一体どこへ着地するのだろう。

甲種焼酎ブームの頃に流行ったチューハイは、結果的に今も居酒屋の定番として生き残っている。泡沫の如く忘れ去られるようなブームもあれば、この甲種焼酎の例のようにユーザーの選択肢を増やす、という恩恵をもたらしたブームもあった。

焼酎ブームは別に悪いことばかりではない。確かに悪徳業者も増えたが、その反面、良心的価格で様々な銘柄を入手する機会も増えた。「プレミア焼酎」についても同様である。その人気が首肯できる銘柄は沢山ある。そして、ワインなんかに数十万の代価を支払うことが可能な人なら、焼酎一升に数万円を払うことなど造作もないだろう。そして、そういう人に「焼酎は庶民のものだ」と主張しても多分通じはしない。

そんな状況でも、私は別段腹も立たない。確かに、再び「薩摩茶屋」(村尾酒造)を心ゆくまで味わいたいと切望するし、「萬膳」も一度くらいは死ぬほど呑んで潰れてみたい。しかし、私には購入しても未だ呑めない銘柄群や、膨大な「買いたい芋焼酎」リストがある。これらの中には多分ハズレもあるだろうが、いつか味わうことができる、というワクワク感の方が強い。

多分、最近芋焼酎に出会った人は幸福なのだろう。「プレミア銘柄」に拘らなければ、こんなに豊饒な環境はかつてない。にも関わらず、メディア露出が多い銘柄に固執し続けるのは勿体ない話だ。芋焼酎は「癒し」の力を有する類希な酒類だ。そしてその力は「プレミア銘柄」のみに宿っているわけではない。

追記: もしこの世に芋焼酎が存在しなければ・・多分今頃は死んでいる。誇張ではない。ヒーリングのパワーを受け続けているように感じる。

私たちは、明らかに順位を操作された怪しげな「焼酎ランキング」なんかは片目で眺めながら、自分の感覚を軸に語るべきだと思う。自分で味わい、自分で判断し、そして伝える。そんな正直かつ力強い言葉が世に満ちれば、更に状況は豊かになるのではないか。

そうなれば、自ずと「プレミア銘柄」という幻影も力を無くしていくだろう。

追記: 2008年現在、投機対象として、根強い一部銘柄を除き焼酎はかなり魅力のない存在になってきている。喜ばしいことである。次回の焼酎ブームは10年後か20年後か、いずれにせよまた全く形を変えてやって来るだろう。ただ、次は価格的プレミアムを伴うブームではないような予感がする。キーワードは「健康」「従来とは全く別の切り口の味」「バイオテクノロジー」あたりだと推測している。いずれにせよ、新たな製法で新たな顧客を開拓するような、そんなブームではないか。愉しみではある。願わくば糞広告代理店が仕掛けるような、大衆のリテラシーの欠如に付け込むブームではなく、spontaneousなものであって欲しい。