August 29, 2006

「は」は自己防衛の手段か? 

Category : 日常雑事

児玉清で思い出した。
小学生の頃に違和感を感じていたことを。
児玉清といえばアタック25である。

優勝者決定後の最後の海外旅行クイズで、
当時は少なくとも90%以上が「ある人物」についての出題だった。
「ある都市」等の回もあったが圧倒的に確率は稀だったと思う。
児玉清のこんな台詞に乗ってクイズは始まっていた。

「今日、、ある人物を当てて頂きます。
 さあ、◯◯さん、エールフランスに乗れますでしょうか。
 パリがあなたを待っております。
 ある人物、フィルム、スタート!」

後世にまで語り継がれるだろう名調子である。
しかし、私はこの「は」が気になって気になって仕方なかった。

おかしいやん、ずっと「ある人物」続いてるやん、せやから今日 "も" やろ、
と親にしつこく言い募った覚えがある。
親も、細かいこと言いやがってこのガキ、と思ったろう。

しかし、この「は」が気になる癖は今も続いている。
シーンによりけりだが、特に謝罪時の「は」が引っ掛かる。

例えば私が仕事でミスをして謝ることになったとする。
「はい・・・私勘違いしてまして・・シマウマの睡眠時間ではなく、
 アザラシの集団的生殖活動を分析したこと、間違いでした」

ここで止められると、私、相当気持ち悪くなるんですね。

この後に「でも、私のアザラシへのアプローチにも狙いがありまして・・」なり
「しかし、生殖行為への包括的言及とラカン的断絶には相補的演繹性が・・」
なりが来れば、流れとしてはおかしくないので納得はできる。

感じからすると、何だか続きそうな感じがするのに、
ここでお終い、となるのは居心地が悪い。
何か、本音、隠してない?と言いたくなる。

更に、例えば私が痴漢のついでにスリまで働いたとする。例えば、である。
「はい・・・人の財布をスったこと、悪かったです」

つまり、「は」、は自分の責任の範囲を限定する試みではないか。
これ以上はあえて言いませんが自分が間違っていたのはここまでです、
という主張を暗に含んでいる感じを受ける。
半無意識的な自己防衛だと思うのだ。
私の知る限り、この「は」に反応する人はやはり他にもいる。
運が悪ければ、「は」で不必要なトゲが立つ時がある。

じゃあ、「は」の代わりに何が来れば、当座丸く納められるか。
「は」について考える事十余年、すなわち最良の選択肢は、
「単に抜く」という結論に至った。

つまり、
「あなたのおはぎを食べたこと、間違いでした」
に代えて、
「あなたのおはぎを食べたこと・・間違いでした」
とする。
いかにも日本語的アプローチだが、
たくまざる可愛げが出るという福音もある。
仕事絡みだと「が」の方が有効な場合もあるが、
本気で真の原因を追求しているようで、どうにも頑なな印象となる。

だから、
「痴漢を働いたこと・・間違いでした」
とすれば可愛げが出て、えー、これはおかしい。

ああ、よくわからなくなってきた。
ただ一つわかるのは、こういう内容を酒席で主張していると、
確実に近くにいる女性が一人二人と去っていくことだ。

Comments (2) | Trackbacks (0)

August 26, 2006

蓮見圭一「水曜の朝、午前三時」 

Category : 読書(他人の褌)

児玉清はもともと本をあまり貶さない

若ハゲの同僚が恋愛小説を読んでいるという。
興味が湧いた私は尋ねた。
それ、何ていう小説?
同僚は鞄から本を出して私に差し出した。
「もう読んだから貸します、無期限で」
お、ありがとう。
「児玉清絶賛らしいですよ」

それがこの本なのだが、巻末の解説を読むまで、
数年前に結構売れたということを私は知らなかった。
確かに、一気読みさせる力を持った小説だと思う。
ただ、いわゆる恋愛小説としては読めなかった。
女と男の関係を軸として話は展開するが、主テーマは別にある。

小説の大部分は、45歳で脳腫瘍で亡くなる直前の女性が、
娘に宛ててテープレコーダーに吹き込んだモノローグから成る。
主な舞台は1970年の大阪万博。この時の主人公の年齢は20代前半。
自信家で英語が堪能な主人公が、親の反対を押し切って、
万博にコンパニオンとして参加することを決意するところから物語は始まる。
有能な同僚の中でも、特に異常な才気を放っていた男性が「臼井さん」であり、
誇り高きプライドを持つもの同士、紆余曲折を経て恋に落ちる。
しかし、謎めいた行動の多い「臼井さん」の素性が露になることで、
事態は急転する。

話の展開が刺激に満ち満ちているわけではない。
粗筋だけを辿ればむしろよくある話である。
また、読んでいて違和感を感じることも度々あった。
例えば、これは70年代という時代を反映している分仕方がないが、
「親が決めた許嫁と結ばれる」とか、物語のキーとなる「ある差別」とか、
女性側の結婚観から古臭い香りがぷんぷんして、
むずがゆいような、照れ臭いような感覚で腰のあたりが落ち着かない。
恋愛ほど時代を反映する題材はない。
出来立ては新しいが、古くなるのも早い。

でも児玉清は正しい

しかし、少々の瑕疵なんか構わず読ませる。
もっとこの物語を読み続けたいと願う。
何故か。一つは主人公の魅力、にあると思う。多面体の魅力である。

主人公は外から見ると才女であり、自信家であり、寸鉄穿つ毒舌も吐けば、
酒呑みの豪放さを持ち合わせていたりするのだが、
今際の際で語る過去の自分は内省的で、兆しを拡大解釈する臆病さがあり、
自信家としてのイメージを壊すまいと入念に鏡で表情のチェックをする。
様々な人格要素が、自分語りの他、友人や娘や義理の息子の台詞を借りて語られる。

キャラが固まってないなあ、と読んでいる途中は思ったが、
いやいやそんなことはない、人間描写としては当然こちらが自然である。
様々な人間らしき様相を持ち合わせつつ、小説の主人公として
破綻なくきちんと焦点を結んだ像が描けるのは見事だと思う。

そして主人公は孤独である。
友人もいる。かしましいおしゃべりもする。だが孤独だ。
他力に頼らずに自分たらんとする姿勢に私は最も惹き付けられた。

以下は、共産党党員である喫茶店のマスターと主人公の会話である。
「疎外」という言葉はマルクスの造語だと、マスターは語る。

「私はムーミンというマンガが好きで、日曜日に子供と一緒によく観るんです。ムーミン谷の外れに川が流れとって、その川べりでいつもギターを弾いている男がおるでしょう」
「スナフキンですね」
「そう、スナフキン。彼はみんなから好かれとるし、一目も二目も置かれとるけど、ムーミンたちと食事をしたり、一緒にどこかへ出かけたりすることはない。なんでか分かります?」
「分かるような気もしますけれど、私はスナフキンが疎外されているとは思いません」
「それやったら孤独の話をしましょうか。孤独というのは、私に言わせれば情緒上の贅沢なんです。スナフキンはそんな贅沢な男やない。彼は孤独に慣れとるけど、別にそれを楽しんどるわけやない。私はあの男、革命家なんやと思う」

引用元:本書131Pより

水曜の朝、午前3時

確かに、静かに群れを拒むスナフキンは革命家なのかもしれない。
しかしその革命はたった一人で行われる、たった一人のための革命である。
モノローグの最後に語られるあの感動的な台詞は、
つまりは、革命家であれ、という警句かもしれない。そう思った。

Comments (0) | Trackbacks (0)

August 19, 2006

ビール市場はこの10年で半分に

部屋を掃除していると今月頭の新聞が出てきた。
「本格焼酎市場沸騰」とある。

記事を要約すると、「本格焼酎のブームは落ち着いたが、
今後も安定拡大は続くと予想される。ビール類の市場が頭打ちの中、
新規市場を求めて大手メーカーが新商品をもって参入する見通しである」
とのことだ。

この手の記事で、まず見るのは数字のデータである。

大手酒類メーカーによると平成15年度から2年連続で2ケタの伸びが続き、17年度の国内の本格焼酎の課税数量は53万9280キロリットルと3年連続で過去最高を更新した。
とりわけ芋焼酎を中心に人気は根強く、日本酒造組合中央会によると本格焼酎を原料別に見た場合、17年度のサツマイモの課税数量は3年前の約2倍で、麦や米に比べて伸び率は高い。

引用元:産経新聞 関西版(8/4)

課税数量を消費数量と見た場合、
昨年は一升瓶換算で本格焼酎が約3億本が消費されたことになる。
成人人口をざっくり1億人とした場合、一人平均一升瓶3本/年の消費量。
<私の場合、だいたい2〜3週間で一本空けるペースであるため、
(一日に一合呑まない日の方が多い)多くて約26本/年という計算。
少ない方だと思っていたが、平均値の9倍弱ということになる>

ちなみに平成6年の本格焼酎の課税数量は27万5237キロリットル。
11年で倍になった計算だ。
そして対照的に、その期間でビールの課税数量は約半分となった。
(700万キロリットル<H6>→380万キロリットル<H16>)
※引用元:酒類課税数量の推移表(国産分)
但し、平成16年の「雑酒」の消費量が250万キロリットル。殆どが発泡酒だろう。
ビールと併せて計630万キロリットルなので、確かに漸減傾向ではある。
大手ビールメーカーの着眼が本格焼酎に向かうのはごく自然といえる。

記事によると、大手ビールメーカーは、
・サッポロビールはキッコーマンから焼酎醸造工場を取得
・キリンビールは飲食店向銘柄「麒麟まろやか芋」等を今月より販売開始
・アサヒビールは「さつま司黒麹仕込み」を今月末より販売開始
といった具合に次の一手を打ち出している、という。

新参マスプロ焼酎の行く末は

以下は単なる予想。感覚のみで根拠はない。

立派な偏見だが、多分これらのマスプロ焼酎の強みはコスト以外にない。
よって、飲食店向け銘柄を優先して、まずはライト市場への浸透を図る。
つまり利幅の大きさで飲食店ルートを釣る。
(例:居酒屋で黒霧島=¥500の値付けだった場合、マスプロ焼酎=¥450程度でも
黒霧以上の利幅が出るくらいの仕入原価とする・・等)

また、本格的焼酎たるイメージを植え付けるためには、
「黒麹」
と付けるのが一番手っ取り早い。
周りの人を見ていると、どうも意味なく黒麹を崇める傾向が強いのだ。
これは読んで字の如く、単に麹の種類を示すものである。
別段白麹が劣っているわけではない、という認識が早く浸透してほしいものだ。
あと、「コガネセンガン使用」というキャッチも、ありそうだ。
言うまでもなく黄金千貫は芋焼酎で最も一般的に使用される芋である。
(但し、国産黄金千貫100%、と謳われていればまた意味は変わる)

飲食店ルートで一定以上の売上が得られれば、
上記メーカーにとっては多分御の字なのだろう。
マスプロ焼酎がこの段階で留まっていれば、別段問題は生じないように思う。
安価でいつでも呑めるマスプロ焼酎、廉価だがマスプロよりやや高い既存の本格焼酎、
というおおくくりの棲み分けができるだけだ。

しかし更に、酒販店ルート(指名買い)にまで本格参入しようとした場合は?
ある程度の知名度が得られた後、名実伴うブランドを確立していくために
どのような手が考えられるだろうか。

すぐに思いつくのは、穏当なら有名蔵元との技術・営業提携、
最終的には既存のブランドを丸ごと買っちゃう、という手である。

ブームが一段落した現在、蔵元によっては設備投資が裏目に出て、
供給過多になってしまっているところもあるだろう。
大手メーカーの一番のターゲットになるのは、
そういう、足腰が弱ってしまった蔵元ではないか。

・・どうも悪い未来ばかり考えてしまっている。いかんいかん。
単純に市場が活性化するなら、別段悪い話ばかりでもあるまい。
ただ、強大な資金力を持つ大手の動向はウォッチしておく必要があるだろう。
まだ言うか。

Comments (0) | Trackbacks (0)

August 18, 2006

先生がえらく責められている

※関連リンク
RFIDタグ搭載ランドセルの校門通過記録で仲良しグループを割り出すという小学校教諭の発想は普通?
真意を伝えるのは難しい

いくつかの興味深い論点を含んでいるトピックである。
・防犯用RFIDを用いて生徒の「仲良しグループ」を割り出すこと
 ・「仲良しグループ」を見つけることの有効性
 ・間接的に得た情報をヤミで使用することの是非
・このような事例を「気持ち悪い」というカテゴリーに入れること

私は以下の意見である。
A)登下校データを用いて「仲良しグループ」を見つけることの有効性が不明。
 その教育的意義を(仮説であっても)提示できなければ、
 覗き趣味を満足させているだけと言われても仕方がない。
B)譲って有効性があったとしても、その情報の使用用途は
 モラルとして少なくとも保護者には開示すべき。
C)しかし管理社会という観点では、気持ち悪さを感じる対象、
 我々が目を光らせて警戒すべき対象は他にもあるのではないか。

勝ち馬に乗りたくもないが

先生いわく、現在そういう機能は使っていないし、
今後も明確な使用予定はないとのことだ。

可能性を提示したに過ぎない、ぐらいの感覚です。
しかし、このような発想自体が、軽々、ということになってしまうのだと思います。

よって、以下はもしそのような実装が為された場合、という仮定である。
「仲良しグループ」のデータを得て、それを以て何をしようとしているのか。
以下が先生側の意見。

誰が、自分の子どもがいじめに遭い、自殺することを望むでしょうか。 自分の子どもだけでなく、おとなとして、子どもがいじめ問題や、子どもどうしの人間関係の問題で、自らの命を絶つことを望む人がいるのでしょうか。

表に現れないいじめ問題や、さまざまな人間関係の問題。 それを、何らかの方法で察知することができれば、命を絶つという行為を未然に防ぐことができる可能性があると思っています。 これもあくまでも、可能性に過ぎません。

自殺する命を救うことができれば、という話だが、
生徒を死に追い込むほどのいじめが行われているということを、
教師がそういう援用手段を用いてしか察知できないことが問題だろう。

そして、「孤立」ということを過剰に罪悪視していないかという点。
まさかとは思うが、「孤立」=「いじめ」=「自殺」というのも早計だろう。
どうも、教育者然り、一般的論調然りなのだが、
「友達がいない」=いけないこと、とする風潮が強い。
この雰囲気、空気が逆に「孤独な」生徒を追い込むことになる。
孤独に耐える、というのは一つの立派なスキルではないか?
自ら敢えて「浮く」ことを選択している場合もあり、
十把一絡げで罪悪視するのはおかしいと思う。
そういう生徒をこそ、その姿勢を応援してやってほしいと思う。

グレーゾーンなら開示すべき

「RFIDを用いた登下校管理システム」で得られる情報は以下だと推測される。
・リーダの側を通った生徒のIDコード
・及びその時間
・リーダが複数あれば(正門、裏門等)、そのリーダの通し番号

「個人情報保護法」からの観点。
これらのデータ自体は「個人情報」には該当しない(個人を特定できない)ため、
この法律の該当範囲ではないと思う(ここらへんは推測)。
もし「個人情報」に該当する場合、「個人情報取扱事業者」が「個人情報」を取り扱う時は、
その情報の使用用途・範囲を明示し、了承を得る必要がある。
(5000人以上の「個人情報」を有している「事業者」は「個人情報取扱事業者」となる)

個人情報でなければ、煮ようが焼こうが好き勝手してもいい、
というわけではない。学校や企業の倫理観が問われる。

また、ヤミで主目的(防犯)以外の情報の使い方をしていて、
バレた時に糾弾されると判断した場合は、打算的に考えても、
先にきっちり上記法律に準拠した開示を行った方が無難である。
開示した時に、少なくとも保護者の過半数のコンセンサスが得られない場合は、
その有効性、ないしそれを語る言葉に不備がある、ということだと思う。

既に我々は管理下にある

今やRFIDはそこら中で使われている。
SUICAしかり、会社の入退室用カードしかり。
結局、データマイニングされる可能性があるのは上記の学校の例と同じで、
今でもマーケティングや人事査定の名のもとで、
どんなデータの加工方法がなされているか判ったもんじゃない。
RFIDシステム管理者が全て聖人君子なわけがないし、
なおかつ絶対過ちを犯さないという保証もない。
もう既に、危なっかしい管理社会の中に我々はいる。

データマイニングといえば、もっと危ない例がある。
Googleだ。
あの「検索履歴」の情報量の豊富さはRFIDと比べるべくもない。

あれは確実にマイニングされているが、
その情報加工精度如何では、
「自分が知らない自分」まで結果に滲み出ているのだろう。
そんなものが例えばP2Pに流出したなら、
「仲良しグループ」の騒ぎどころではない。
地獄絵図である。可能性がゼロとは言えまい。

国や自治体や学校による管理社会、確かに抵抗はある。
しかし皆、いわゆるお上による管理の兆候には敏感である。
上の例でもそうだが、管理側へのチェックは(過剰なくらいに)機能している。
むしろ今は、「民」側の危険度の方が高いと思う。
上例以上のリスクがあるGoogleが割と無批判に受け入れられている、
そんな空気が危険だと思うのだ。

Comments (0) | Trackbacks (0)

August 17, 2006

筒井康隆「愛のひだりがわ」 

Category : 読書(他人の褌)

筒井作品の再評価は必然

筒井康隆は私と同年代の人々にとって、特別な存在である。

筒井氏が丁度脂の乗った作品を連発していた頃に
多感な時期を迎えた当時の青少年は、
これらを読んでしっかりと、
「マスコミ不信」「前衛の価値」「エスタブリッシュメントの危険性」等々の
価値基準を植え付けられることになる。

現在の筒井作品の映像化連発現象は、そんな、当時影響を受けた人たちが
気鋭の若手クリエーターとなったことが理由のひとつ。
業の深い時限爆弾が連鎖しながら爆発しているのだ。

私は筒井氏の文庫化された作品のうち、95%は読んでいるはずだ。
20年以上、読み続けていることになる。本作は最近文庫化された作品。

ジュブナイルと銘打たれているが、
それだけで少年少女向けだと判断してしまっては勿体ない。
歴とした大人のファンタジー小説である。

基本は水戸黄門だが、しかし

舞台は近未来の日本。モラルの荒廃が進み、
街には日常茶飯のように死体が溢れ、もはや警察は役に立たず、
民間の自警団が街への侵入者に目を光らせている。
主人公は左手の不自由な小学生の少女である。
その少女の名前を「月岡愛」という。

題名の意味はつまりそういうことである。
その「ひだりがわ」に立つのは、時には爺さんであり、
同級生の少年であり、おおきな犬であったりするのだが、
彼らは主人公の庇護者として立ち現れる。

主人公は幼い頃に家を出た父親を探すために故郷を旅立つ。
無法国家となった日本を、少女が一人で徒歩の旅をするわけで、
当然その過程で事件が度々起こる。
そしてその時々で、かわるがわる、主人公のひだりがわには誰かが立っている。
そう。そこからの読者の予測は最後までほぼ外れることはない。
エンディング近く、それまでに受けた抑圧を吐き出すかのように、
主人公たちが「敵」を討ち取っていくプロセスは、期待通りきっちりと痛快である。

しかし、主人公は最後に至るまでの過程で、2つのものを失う。
それらは成長と共に、我々が失ってきたものでもある。
喪失感は爽快さと混ざり、複雑な読後感となって残る。
(「魔女の宅急便」と似てる、という人はいるだろうけど)

筒井氏の小説では、主人公が女性の場合はだいたいが美人として描かれる。
本作も例に漏れない。「美少女」である。そして芯が強い。
確かに、美人の方が、主人公へのインタラクションを描きやすいだろうし、
読者も感情移入しやすいのだろうが、作者の好悪も多分に反映していると邪推する。
また、筒井作品ではおなじみの、犬への偏愛が随所で読み取れるのも、
本作の微笑ましいところ。

愛のひだりがわ

ちなみに個人的な筒井作品のお薦めは、
「ヨッパ谷への降下(短編)」「夢の木坂分岐点」
「おれの血は他人の血(絶版?)」「大いなる助走」・・等。
特に最初の2つは、いわく表現し難い余韻が残る傑作。

Comments (0) | Trackbacks (0)

August 16, 2006

なんか無節操にジャンルを増やしてますが。

自然食志向のアプローチが特徴の店。
この店の主力であろう「野菜カレー」を食した。

野菜カレー

野菜カレー。味は極めてあっさり。ライスは玄米もチョイス可能。

具は人参、ブロッコリー、南瓜等。
さらさらとしたスパイスの感触はあるものの、刺激は抑えられている。
こなれた味わいで辛さはかなりマイルド。「薬膳カレー」という言葉が思い浮かぶ。
他のカレーを食べていないので全てがマイルドかは判らないが、
辛さでヒイヒイ言いたい人には物足りないかもしれない。
メニューは単品ものの他、¥2000〜4000程度のコースまで(だったと思う)。
市街地からはやや離れているが、いつも混雑している。

このエントリーはGoogle Maps貼付テストも兼ねた。
貼付方法は以下のサイトが詳しくて、親切。
Web::Blogoscope: Google Maps API解説
ただ、この方法そのままでは1ページ内に複数のマップを貼付けることができない。

Comments (0) | Trackbacks (0)

August 15, 2006

チャリパラダイス京都 

Category : 日常雑事

私が清少納言なら「夏は自転車」と書く
山あいの風景

鞍馬まで行く途中の光景。小学校時代の夏休みの点景を思い出す。こんな感じのところで育ったのだ。

私は熱耐性ポイントが高いので、暑さはかなり我慢できる。
サウナもドクター中松並に良く耐える。
そして太陽が出ていれば、ああ勿体ねえ日光を浴びないと、と反射的に思う。
なにがしかの事情で外出できなければ無意味に罪悪感すら覚える。
本能の奥深くから呼びつけられるような強迫観念である。病気か。
そして、日光を浴びれば妙に元気になってエネルギーを消費したくなる。

よって、晴れた夏の日のチャリは、個人的には最良の選択肢だ。
テニスもありだが、関西のテニス事情は決して良くない。

今朝、うっすらと目覚めると素晴らしく晴れているのが見えた。
慌てて支度した。行き先は京都である。

何故京都か。「自転車の街」だからだ。
思うに、サイクリングに適した街は以下の条件を満たす。
1)走りが快適である
2)飽きがこない
3)しんどすぎない

つまり京都では、
1)碁盤目状道路。よって市街地にはデッドエンドの道が(基本的に)なく、
 目的地への到達経路が任意であり、また(基本的に)迂回経路が不要
2)商業地/緑地帯/町家、寺社仏閣等の配置が絶妙で視界の変化が多く、
 また道路数も多い
3)広すぎず、狭すぎず、で規模が適度、山以外に急勾配の坂がない

札幌市界隈はこの条件に割と近く、歩道の広さについては分があるが、
いかんせんキーとなる場所が少なく、風景が単調になりやすい。
その点、京都は散々走り回っていてもまだ飽きない。
裏通りだらけの街であり、走っていない道もまだまだ多い。

風になる&気前もよくなる
鞍馬までの地図

(横の地図は「キョリ測」より)
朝の9:00前には四条河原町に着いた。MTBを借りに行く。
手続きが一々面倒臭いが、ポダリングできるような自転車では快適な走りはできない。
まず向かう先は鞍馬だ。市街地から離れた山中の観光地である。
少々傾斜はヘビーだが、蝉時雨の中、森の香り漂う狭い道を縫って走ると気分は風である。
陽の当たるー♪坂道をー♪自転車で駆けのぼるー♪ 歌ってしまう。
ここまで四条からだと往復でだいたい35kmというところ。

山を降りてからはまた無茶苦茶に走り回ったので、多分今日の総走行距離は70kmを優に越える。
やはり太陽を軀一杯に浴びてこそ夏休みである。

しかしデメリットもある。
本能の赴くままに走っていると、気持ち良いくらい決心が早くなる。
ふらりと立ち寄った鞄屋で肩掛けタイプの吉田カバンを即購入。
ふらりと立ち寄った酒屋で焼酎一升瓶購入(これはいつものこと)。
ふらりと立ち寄った本屋で¥6000分の本を購入。
最後については、堆く積み上がった本を横目で見ながら現在後悔中である。

あと、日焼けでひどく腕と脚が痛い。
デイタイムの殆どを使って走ったので当然といえば当然だが、
日傘をすぐ差す女性には無理だわ、これは。

Comments (0) | Trackbacks (0)

August 14, 2006

将棋を「観る」

(関連サイト:第33回近鉄将棋まつり
今日の午後。大阪、天王寺の近鉄百貨店。将棋まつりは今までになく賑わっていた。
神吉六段によると、大阪開催の一日の入場者で新記録となったらしい。
私もずっと立見だった。(1000人程度?)

将棋がブームになっているという話は今の所聞かない。
ただ、谷川九段が「将棋の愉しみ方が多様化しているせいでしょう」と言っていたが、
確かに関連情報が入手しやすくなって、ライト層の裾野は広がっているかもしれない。
実際に将棋を指すことはない私も(将棋倶楽部24で指すことは稀にある)
コアなマニアではない。スポーツ観戦と将棋の棋譜を読むことはほぼ同義だ。

さて、今日のメイン棋士は以下の通り。
谷川九段。山崎七段。神吉六段。瀬川四段。
この面子も賑わいの理由だろう。特に初来阪となる瀬川四段は大きい。
私が今日を選んだのも、瀬川四段がいたことと、とりあえず神吉六段が居れば
お寒いトークにはならないだろうと思ったからだ。

午前中は美容院に行っていたため、現地到着は昼過ぎ。
山崎七段が指導対局を行っていた。

指導対局

山崎七段の指導対局(10面指し)。横のおっちゃんの話では「山崎結構負けとったで」とのこと。うむ。しかし頭髪が淋しい人が多い(←失礼)

<以下なんだかんだ言ってマニア向き>

将棋が強いだけが棋士の意義ではないようだ

会場に入ると瀬川四段と神吉六段の早指し3回戦が始まるところだった。
しかしこれは因縁の対決と銘打ちながらも期待外れ。
一局目は一手10秒、二局目は一手20秒。早すぎて訳がわからない。
ここまで早いと指す方もかなり反射的に指している感じがする。
神吉六段はマイクを持って対局。
横の大盤解説で「ここはこういう狙いで・・」などと話すと、
神吉「おうそれそれ。それええな。それで行くわ」。
終盤で詰むや詰まざるやの場面となると
「激指持ってきてえな。あれないとわからんわ」。
本当にわからないらしく、結構無茶苦茶な筋に指す。
「神吉さん、二連敗で香落ちでしたっけ」。解説から茶々が入る。
瀬川四段は徹頭徹尾無視を決め込んでいた。

次がその棋士によるトーク。神吉はんが他の3人に話を振る展開。
だいたいこんな感じで話が進む。
相変わらず瀬川四段、話しにくそうである。

トークショー

トークショーの様子。瀬川四段が話す時に、脚を微妙に揺らし出すのが気になって仕様がなかった。

山崎「(対谷川戦で何回勝ったかという話で、山崎必敗形から)谷川さんに
   形作りの金を頂いて、それで間違えてくれて、勝ったんですよ」
神吉「森内はそういう見せる将棋を判ってないよなあ。丸山もな」
谷川「森内さん最近はそうでもないですよ」

神吉「勝った時は自分、むちゃくちゃ強いわって思いますねん」
山崎「誰でもそうですよ」
谷川「それ年何回くらいあるんですか」
神吉「んー多くて二回」

谷川「35歳過ぎて、勝てなくなる人とそうでない人といますね」
神吉「それ誰ですか」
谷川「いや、あの世代の三人(※羽生、佐藤、森内)除いて・・いや・・」

最近の棋士の方はだいたい無口でもないが、
棋士同士の好き嫌いや、ゴシップ的な話題の核心には口が固い。
棋士になるとずっと同じ面子とつきあわないといけないので、
一度嫌われたら、ずっと針のむしろだからだという話を聞いたことがある。
狭い社会に閉じ込められることの悲哀・窮屈さは
ある種、皇室と似たところがある。
そういう意味で神吉六段や先崎八段は希有な存在である。

プロの凄み

最後がメインの谷川ー山崎戦である。
棋譜詳細は上記関連サイトにある。
同じ局面でプロと同じ時間を共有して、素人がわからないなりに次の一手を考え、
そして気持ちよくその予想が裏切られる、というのが公開将棋の醍醐味である。
読みを入れている時間の濃密さを実感できるわけだ。
横でおっちゃんが「それちゃうでちゃうで」とか、
「そうかーここで飛車いじめに行くんか」とか
言っているのを聞くのも愉しい。

投了図

投了後。簡単な感想戦があった。(多分敗着手の)73手目の▲1八香に言及して「あれはないですよねえ。でも歩が欲しくて」と山崎七段。

勝負は上写真投了図の通り、谷川九段の貫禄勝ち。
「光速の寄せ」ではなかったが、見応えはあった。
ところで、谷川九段は揮毫が「光速」だという。
プレゼントのサイン色紙にそう書かれていたらしい。
それ、揮毫の文句としては、ちょっと違うと思う。

Comments (0) | Trackbacks (0)

August 13, 2006

Hard times are over, for a while. 

Category : 仕事

残業時間を自慢する人々

ここ1ヶ月程、0時以降に帰宅する日々が続いていた。
こんなことを言うと、その程度の残業なんか屁みたいなもんだ、とか、
ワシはもっと働いてるぜ的な意見が出る。何故か自慢気に言う。
私はこの手の人がずっと気になっている。

残業自慢は日本人特有なのだろうか。
例えばイタリア人はどうか。
少なくともマリオはルイージに「俺先月90時間よ」とは言うまい。

何故残業時間が自慢の種になりうるのか。
自分の存在意義を示す方法としてイージーだから、というのが一つの理由だろう。
存在意義なんて曖昧なものと対峙するくらいなら、残業をした方が楽なのだ。
空虚からの逃避手段として、残業という手段を選んでいる。

勿論、諸般のしがらみの中で仕方なく長く会社に残っている人の方が多い。
自分もまた、そうだ。
しかし、残業時間を自慢したい衝動に駆られれば、要注意である。

仕事が面白ければ、そこにいくら時間を掛けても命までは削らないだろうし、
仕事が日銭を稼ぐための手段に過ぎないと割り切っていても、大丈夫だろう。
そしていずれにも残業を自慢する余地はない。
仕事をしている時間そのものを何かの指標にする必要がないからだ。

残業を自慢する人は、仕事との関係性になにがしかの齟齬が
生じ始めていると考えていいと思う。

自慢をする人が何か具体的な災厄をもたらすわけではない。
しかし、私をどこか落ち着かない気分にさせる。
こっちが間違っているかのような感覚に陥るからだ。

いや、現に間違った価値判断に蝕まれつつあるのかもしれない。
元気を無くしている人が周りにも多い。
このような本末転倒に対して気付きを得たい。

気を取り直し

ところで、ようやく花の、

キュー・レン・キュー♥

が始まった。このご褒美があったから、とりあえず今日まで踏ん張りが利いた。
暫く頭を冷やし、仕事←→会社←→自分、という関係に想いを馳せてみる。

Comments (0) | Trackbacks (0)