November 28, 2006
映画「ノー・ディレクション・ホーム」
Category : 音楽
優れた芸術は説明を拒む
ディランのことを知らない人に、
ディランの「良さ」を伝えることは、
ペンギンにウクレレを教え込むくらい困難だ。
何より自分自身も、何処が好きでディランを聴くのかよく判っていない。
確かに歌詞の多義性や含意の深さは万人が認めるところだが、
(ノーベル文学賞にノミネートされたほどだ)
勿論、それだけが理由でないことはわかる。
このドキュメントはボブ・ディランの生い立ちにまで遡り、デビューから、
アコースティックからフォークロックへ転身する頃を経て、
バイク事故で活動を休止する1966年までの流れを、
ディラン本人、当時ディランに関わりが深かった
ジョーン・バエズ、アル・クーパー、アレン・ギンズバーグ、
スーズ・ロトロ(レア。デビュー当時のパートナー)らの
インタビューを交えて追ったものだ。
貴重な当時のライブ映像も、随所随所、潤沢に挿入される。
監督はマーティン・スコセッシ。208分の大長編である。
ボブ・ディランという生き方
このドキュメントに結論はない。
ミネソタの一介の田舎者が如何にスターダムに上がったかという
サクセスストーリーでもない。
強いて言うなら、「本当に好きなようにやる」ことがいかに困難を伴うか、
という一つのサンプルである。
2枚目のアルバムを出す頃には、
彼は時代の寵児として熱狂的な扱いを受けていた。
この時、ディランはまだ22歳。
だが、この崇拝にも似た熱狂が、数年後には彼に向かって牙を剥くことになる。
ディランがアコギ一本で演奏するオーソドックスなフォークのスタイルから、
エレクトリックのバンドスタイルに転向した時に生じたファンとの軋轢、
(現在では理解しがたい、”ポップ/商業主義に魂を売った”的非難)
そしてマスコミの批判、無理解が一斉にディランに襲いかかる。
過去のディランを求め続ける周囲と、あくまでスタイルを変えようとしないディラン。
この対立項が、本ドキュメントの主軸となっている。
このドキュメントには、ディラン・バッシングの端緒となった、
1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルの映像が収録されている。
これがまた、非常に生々しいのだ。
ステージは”マギーズ・ファーム”で幕を開ける。いきなり超弩級の演奏である。
遠慮仮借なく縦横無尽にギターを弾きまくる名手、マイク・ブルームフィールド。
あまりの演奏の激しさにざわつく観客。そして沸き上がる怒号。
目に余る観客のブーイングに耐えかねてか、「帰る」と一言残し、
ディランは数曲でステージを切り上げる。
予定外の展開にあわてふためく司会者。
なんとかして宥められたのか、その後、ディランは再度アコギ一本でステージに上がり、
観客に語りかけるように、"イッツ・オール・オーバー・ナウ"を歌う。
確かにこの時、ディランは涙を流しているように見えた。
非常に有名なエピソードである。このシーンを映像で見られるとは思ってもみなかった。
ロック、ということ
ロックとは何か、という問いに答えることは難しい。
しかし、どのような音楽のスタイルをとっても、
ロックたりうることは可能ではないか、と思う。
「好きなようにやり続ける」ことは、
恰好つけて体制に唾吐くポーズをとることなんかよりよほど困難である。
最後、ロンドンでのコンサートの様子が映し出される。
バックステージのディランの眼は虚ろで、焦点が合っていない。
ドラッグでばっちり決めた後のようだ。
「ユダ!」観客が罵声を飛ばす。
ディランが投げやりに応じる。
"...I don't believe you... you are liar...play it fuckin' loud!"
古き記憶に留まり続ける観客を嘲弄するかのような爆音が鳴り響き、
"ライク・ア・ローリングストーン"の演奏が始まる。
"How does it feel?"挑発するようにディランは歌う。
その様子はロック以外の何物でもない。

好きなエピソードは、大のディランのファンだったアル・クーパーがオルガン奏者として「ライク・ア・ローリングストーン」のレコーディングに無理矢理乱入するくだり。ちゃっかりオルガンの前に座っているアルを見て、プロデューサーが「テイクワン・・お前そこで何してる!」と叫ぶ声には笑った。あとは「オデッタ」という女性ブルースシンガー。文章では表現しにくいが見た人にはわかる。バウッ!
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