July 23, 2009

あの、私、Twitterを始めたでしょう。
で、フォローしたい人も当座思い浮かばないもんで、
勝間和代さん広瀬香美さんをとりあえずフォローしたんですよ。
そしたらね、画面がもう2人の公開チャット状態なんですよ。
夜は特に、

勝間、勝間、広瀬、広瀬、広瀬、勝間、広瀬、勝間、

みたいに、だーっとメッセージが並ぶ。
ゲシュタルト崩壊起こしそうになりますよね。

でね、勝間さんは特に、外野というか、
メッセージを投げて来る相手にマメに返事してるんです。
で、私もつい、こう思ってしまっちゃってるんですよね。
「お、勝間、強面の癖になかなかいい奴じゃん」

ダメでしょ、簡単にそう思っちゃ。

そもそも、私が今更Twitter始めたのは、
自民党と民主党の議員が、
なんかの話題をTwitter上でしてて、
それでその話題に関しては党の垣根を超える感じで
意気投合してたってのが一部はてな住民の中で話題になってて、
その様子を見て、もしかするとこのツールは様々な意味で、
人と人との距離をぐぐっと縮めてくれるんじゃないか、
まだまだ大きなポテンシャルを秘めたツールなんじゃないか、
そう思ったのがきっかけなんです。

これはツールそのものの威力というより、
Twitterが現在の大ブレイクまで数年かけて、
「Twitter上では挨拶もなしにずけずけモノが言える」
ような雰囲気が醸成されてきたってのが大きいと思いますけどね。

距離を縮めるのはいいことなんですよ。
双方がそう思っているのならほんといいことだと思います。
でも片方だけ、有名人←→非有名人の間のやりとりで、
非有名人側だけが、
「距離縮まった!イエイ!」
そう思ってたとしたら?

営業ツールですよね。Twitter。

そういう目で見ると、
上の、勝間さん・広瀬さんのやりとりも、
どうもきな臭く見えてくるんです。半分演出なんじゃないかと。
双方、毎日新聞系のメディアに連載を持っている。
ま、自然発生的なものだと本人は言ってますけどね

でも、100%とは言いませんが、
30%、あるいは70%、猿芝居のような気もするんです。

あのね、私は外国のことは知りませんよ。
単なる感覚で物言ってますけど、日本人は、
「有名人にちょっと気にかけてもらえるだけで、
その人に対する好感度がうんと上がる」
傾向が強いように思うんですよ。
だから、上の勝間さんみたいに、
マメに市井の人々にレス付けるだけで、
本人のみならずそれを見ている周りの人たちの好感度も格段に上がっている、
なんか見ていてそんな感じがするんです。

で、これは好感度上昇バイアスを掛けられてるんじゃないか、
一種の情報操作じゃないか。そんな気がしてならないんです。

だから、私はTwitterは公選法違反という見解に賛成です。
どうもネット住民はこの見解に否定的みたいですけど。
私はまだ、こんなピアツーピアのやりとりの中で、
情緒に流されないネットリテラシーを、
多くの人が持っているようには思えないんですよ。
まだ機が熟していない、そう思います。

あるトピックについて、
政治家と純粋に直接的に議論する場がある、
これはいいことだと思います。
でも、それは市井の人々が明確な問題意識を持っている、
これが大前提で、
「やった、有名人からレス貰ったぜ」
などとはしゃいでるうちはまだまだだな、そう思います。

いや。私も人のことは言える立場じゃないですよ。
私もその手の情緒に流されがちな人です。
数年前、村上春樹から直接メールが来て、
相当な勢いではしゃいでましたから。

だから、上記は自戒に近いです。
「はしゃぐな。ちゃんと本質を見ろ」
日々、自分に対して言い聞かせてます。

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July 18, 2009

先日、本を読んでいて、こんな一節が目に留った。

心がおっつかないから迷ったり、生きるのがしんどくなる。世の中だってぎくしゃくしてくる……。もういっぺん振り出しに戻ったり、本来の姿を振り返る必要があるんじゃないかと思う。
それには、歩くことなんじゃないかな。人間の自然な姿は歩くことだから、歩くことは人間を振り出しに戻してくれる、なにかを振り返らせてくれるような気がする。原点かもしれない。地べたに自分の足がつくことで、大地とふれあい、大地の力をいただくことができる。

引用元:「一日一生」酒井雄哉

著者は天台宗の大阿闍梨で、
千日回峰行という想像の域を超えた修行を積み重ねてきた人。
で、この修行はともかく歩く。一日85km歩く時もあるという。
そんな方が上のようなことを言うと説得力がある。

なぜ歩くかというと、歩くことは座禅と通じるかららしい。
天台宗には「歩行禅」という考え方があるという。
歩きながら悟りを得るわけだ。

これを読んだ私はすっかり感化されて、
本日7/18を歩行禅の日にしようと考えた。
正午あたりから夜までともかく歩き続けようと思った。

しかし、例のトラップであっさり挫折した。

出町柳を起点に三宅八幡あたりまで歩いてみて、
その後は成り行きに任せようという計画だった。
銀閣寺に到達後、白川通りを北上するまでは良かった。
ここで、ふと「金福寺」に寄ろうと思ったのが運の尽き。

金福寺の猫

おなじみ、金福寺の猫。全力で甘えてきます。

この寺に住み着いた猫を膝に乗せて遊んでいて、
気付くと2時間座ってのんびりしていた。

もうすっかり気が抜けてしまって、
一乗寺のラーメン屋で行列に並んでまでして
チャーシューメンとでかい唐揚げを喰って帰ってきた。

何かあんたの大事なものを断て。
そうすればあんたの望みを叶えてやる、と言われても
猫断ちは拒否しそうな気がする。
うまいもん断ちも駄目だな。
あと、あれとあれとあれもちょっと無理だな。

キョリ測で今日の歩行距離を見積もると約10km。
勿論何も悟れなかったが、ただ、ずっと歩き続けていると、
だんだん世界が綺麗に見えてくるような気がする。
美しいものがパノラマになって、
視界の左右をさーっと流れていくような、そんな感覚。
多分何かの脳内物質のせいだと思うが、
歩くことは元気に繋がっているようだ。

歩行禅とは、
「この世の中も結構捨てたもんじゃないぜ」と
感じるための技術かもしれない。

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