July 18, 2009

先日、本を読んでいて、こんな一節が目に留った。

心がおっつかないから迷ったり、生きるのがしんどくなる。世の中だってぎくしゃくしてくる……。もういっぺん振り出しに戻ったり、本来の姿を振り返る必要があるんじゃないかと思う。
それには、歩くことなんじゃないかな。人間の自然な姿は歩くことだから、歩くことは人間を振り出しに戻してくれる、なにかを振り返らせてくれるような気がする。原点かもしれない。地べたに自分の足がつくことで、大地とふれあい、大地の力をいただくことができる。

引用元:「一日一生」酒井雄哉

著者は天台宗の大阿闍梨で、
千日回峰行という想像の域を超えた修行を積み重ねてきた人。
で、この修行はともかく歩く。一日85km歩く時もあるという。
そんな方が上のようなことを言うと説得力がある。

なぜ歩くかというと、歩くことは座禅と通じるかららしい。
天台宗には「歩行禅」という考え方があるという。
歩きながら悟りを得るわけだ。

これを読んだ私はすっかり感化されて、
本日7/18を歩行禅の日にしようと考えた。
正午あたりから夜までともかく歩き続けようと思った。

しかし、例のトラップであっさり挫折した。

出町柳を起点に三宅八幡あたりまで歩いてみて、
その後は成り行きに任せようという計画だった。
銀閣寺に到達後、白川通りを北上するまでは良かった。
ここで、ふと「金福寺」に寄ろうと思ったのが運の尽き。

金福寺の猫

おなじみ、金福寺の猫。全力で甘えてきます。

この寺に住み着いた猫を膝に乗せて遊んでいて、
気付くと2時間座ってのんびりしていた。

もうすっかり気が抜けてしまって、
一乗寺のラーメン屋で行列に並んでまでして
チャーシューメンとでかい唐揚げを喰って帰ってきた。

何かあんたの大事なものを断て。
そうすればあんたの望みを叶えてやる、と言われても
猫断ちは拒否しそうな気がする。
うまいもん断ちも駄目だな。
あと、あれとあれとあれもちょっと無理だな。

キョリ測で今日の歩行距離を見積もると約10km。
勿論何も悟れなかったが、ただ、ずっと歩き続けていると、
だんだん世界が綺麗に見えてくるような気がする。
美しいものがパノラマになって、
視界の左右をさーっと流れていくような、そんな感覚。
多分何かの脳内物質のせいだと思うが、
歩くことは元気に繋がっているようだ。

歩行禅とは、
「この世の中も結構捨てたもんじゃないぜ」と
感じるための技術かもしれない。

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